はじめに──「わがまま」とされがちな里伽子という存在
『海がきこえる』に登場するヒロイン・武藤里伽子。
多くの視聴者が彼女に対して「わがまま」「自己中心的」「扱いづらい」といった印象を抱いたことでしょう。
- 突然の言動
- 周囲との摩擦
- 拓との微妙な距離感
どれを取っても、典型的な“好かれにくいヒロイン像”です。
ですが本当にそうでしょうか?
本作は、里伽子の「言葉にしない心情」と「防御的な態度」によって、
観る側の“誤解”と“共感”が紙一重に揺れる構造になっています。
この記事では、
「なぜ里伽子はわがままに見えるのか?」
その背景にある心の動きと、彼女なりの生き方を深掘りしていきます。
里伽子の“突飛な行動”とその背景にある心理

里伽子の印象を決定づけるのが、
あのハワイ旅行のエピソード。
- 自分だけが母親とハワイに行こうとしていた
- それを聞いた拓や周囲が戸惑う
- 挙句、旅行費をめぐってトラブルになる
この一連の流れだけを見ると、
「なんて自分勝手なんだ」と感じてしまうのも無理はありません。
しかし、ここで注目すべきは彼女の感情の表現の仕方。
- 拓に近づくかと思えば突き放す
- 反抗的な態度を見せながら、時折素直な一面も覗かせる
- そして突然の無言や無表情
こうした行動は、「気分屋」や「冷たい」と捉えられがちですが、
実はその裏にあるのは──
傷つかないようにするための“自己防衛”
感情をストレートに表現することが怖くて、
先に拒絶することで、自分を守っていたのかもしれません。
わがままに見える態度も、
実は相手との距離感に迷い、不器用な関わり方しかできなかったからこそ。
この視点に立つことで、
里伽子という人物像が少しずつ輪郭を持ち始めるのです。
家庭環境が育んだ“感情の防御壁”

里伽子の行動や性格を語るうえで、
無視できないのが彼女の家庭環境です。
- 母子家庭で育ったこと
- 母親は華やかで自由奔放な性格
- 両親の離婚にまつわる複雑な経緯
一見、裕福そうで洗練された生活に見えても、
里伽子の心の中には「家族に対する割り切れなさ」がずっと残っていたように見えます。
“大人びたふるまい”の裏にある孤独
- 親に甘えられなかった
- 感情をうまく共有できる相手がいなかった
- 「自分がしっかりしなきゃ」という無意識のプレッシャー
その結果、
感情の起伏を外に出さない
他人に頼らない
というスタンスが、自然と身についてしまったのではないでしょうか。
自立心と防御心の境界線
里伽子は自立しているように見えて、
実は他人との関係において極端に慎重で、傷つきやすい。
それゆえに、「冷たい」「気取ってる」と誤解されやすく、
なおさら感情を押し殺すという悪循環に陥っていたのかもしれません。
この“感情の壁”こそが、
彼女をわかりにくくし、「わがまま」に見せていた正体なのです。
他人との距離を測れない年頃の“曖昧さ”

高校時代──
それは、他人との関係性がいちばん曖昧で、不安定な時期です。
大人のようでまだ子ども。
感情はあるけど言葉にできない。
距離を取りたいけど、孤独にはなりたくない。
拓と里伽子の“絶妙な距離”
- 一緒に帰ったり
- 旅先でふたりきりになったり
- でも明確に「好き」とは言わない関係
この微妙なやり取りは、まさに思春期の象徴といえるでしょう。
距離を詰めたいのに、踏み出せない
里伽子は、誰かに近づくときに必ず反発や試すような言動を見せます。
- 拓に対して挑発的な言い方をする
- 無言で立ち去る
- 相手の反応を確認するようなそぶりを見せる
これらはすべて、「拒絶される前に自分から距離を置こうとする防御反応」とも言えます。
“曖昧さ”は未熟さではなく、リアルな感情
この作品が優れているのは、
こうした言葉にならない“曖昧な感情”をそのまま描いているところ。
視聴者にモヤモヤを残すのも、
それが現実の高校時代そのものだから。
そんな曖昧な距離感の中で、
里伽子は自分なりに、必死に誰かとつながろうとしていたのです。
“わがまま”は未熟さではなく、生き延びるための選択だった

里伽子の言動を見ていると、
「なんでそんな言い方するの?」
「もっと素直に話せばいいのに」
と感じる場面が多々あります。
でもそれは、彼女が“未熟”だからではありません。
不器用な表現の裏にある“自己防衛本能”
感情をそのまま表現することは、
相手に心をさらけ出すということ。
それはとても勇気がいるし、リスクもある行為です。
里伽子はそれを無意識に避け、
- あえて強い態度をとる
- 先に拒絶する
- 自分から離れることでコントロールしようとする
こうした行動は、
“わがまま”ではなく、心を守るための「選択」だったのです。
本音を言えなかった彼女の“サバイバル術”
思春期の女子として、
母との関係や周囲の視線、そして自分への不信感に苦しみながら、
里伽子は自分を保つための“サバイバル術”として、あの振る舞いを選んでいたのかもしれません。
誰にも甘えられず、でも孤独でいたくない──
そんな複雑な感情が、「わがまま」という仮面をかぶって表に出てきただけ。
一歩引いて見れば、
彼女の“面倒な言動”も、痛みを抱えた人間らしさの表れに思えてくるのではないでしょうか。
まとめ──里伽子の行動に見る“思春期のリアル”

『海がきこえる』の武藤里伽子は、
たしかに一見「わがまま」に映ります。
でもその言動の奥には、
- 傷つきたくない気持ち
- 誰にも頼れない寂しさ
- 感情を持て余す不器用さ
といった、思春期特有のリアルな葛藤が詰まっているのです。
わがままに見える行動の裏には、
心を守るために身につけた“無意識の防御”がありました。
誰かとつながりたいのに、どう距離を詰めたらいいのかわからない──
そんな曖昧で複雑な心を、
『海がきこえる』は決して大げさにせず、静かに描いています。
もしあなたがかつて、
里伽子のように「うまく人と関われなかった記憶」があるなら、
彼女に少しだけ寄り添える気持ちが生まれるかもしれません。
そしてきっと、
「わがままに見える誰か」にも、
同じように理由があることを、思い出せるようになるはずです。
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