――リーディング・シュタイナーを背負った男の本質
1. 導入|“唯一の観測者”という異常な立場
『STEINS;GATE』という物語を貫くキーワードのひとつが「リーディング・シュタイナー」。
それは、世界線が変動しても記憶を保持し続けるという特異体質。
持っているのは、岡部倫太郎ただ一人。
他のラボメンたちが“何もなかったかのように”笑う中で、
彼だけは、“まゆりが死んだ記憶”や“紅莉栖を刺した記憶”を覚えている。
それは、ただのタイムトラベルものにおける「便利な記憶保持」ではない。
世界線の外に立つ者=観測者としての“絶対的な孤独”を抱えた存在だ。
本記事では、岡部倫太郎がこの“孤独”とどう向き合い、なぜ耐え抜くことができたのか、
彼の精神構造、感情、そして選択の意味を考察していく。
2. リーディング・シュタイナーの孤独

岡部の“観測者としての苦悩”は、物語の前半から一貫して描かれている。
世界線が変わるたび、岡部は「唯一の違和感」を感じ取る。
周囲のラボメンたちは、変化に気づかない。
それどころか、彼らの態度や表情は“以前と同じ”であるかのように振る舞う。
だが岡部は知っている。
まゆりは死んだ。紅莉栖は殺された。
記憶の中にだけ存在する“別の未来”を、彼は消すことができない。
これは想像以上に残酷だ。
誰とも共有できない記憶=存在しないことにされる過去を抱えて生きること。
この孤独が、彼の「選択」の重みを何倍にもしているのだ。
3. 「選び続ける者」としての存在意義
『STEINS;GATE』における世界線とは、選択の分岐である。
岡部はそのすべてを“観測してしまう”存在だ。
つまり、彼は「どの未来を選び、どの未来を捨てるか」を常に迫られる。
他の登場人物にとって世界線は一つでも、
彼にとっては無数に広がる“同時に存在する可能性”だ。
岡部のすごさは、「どれが正解か?」ではなく、
「誰かが悲しむ未来を否定しないまま、それでも選び直す」ところにある。
過去の喪失をなかったことにせず、
その重みを抱えたまま「今」を生きる。
その姿勢が、“観測者”としての存在意義を際立たせている。
4. “鳳凰院凶真”という自己防衛機構

岡部には、もう一つの顔がある。
中二病マッドサイエンティスト“鳳凰院凶真”。
この人格は、コミカルで誇張された一面として描かれるが、
実は非常に重要な役割を果たしている。
それは、現実と記憶の乖離から自我を守るための“盾”だ。
世界が変わっても他人は変わらない。
自分だけが変わっていく。
その“浮遊感”に飲み込まれないよう、
彼はあえて“狂気”の仮面をかぶる。
それは自己欺瞞ではなく、生きるための防衛反応だった。
つまり、鳳凰院凶真は“まともでいるための戦略”なのだ。
5. 信頼と絆の積み重ねが生んだ“耐える力”

岡部が孤独に押し潰されなかったのは、彼が強かったからではない。
むしろ、何度も折れかけた。
タイムリープをやめようとしたとき、
紅莉栖を救えなかったとき、
鈴羽の手紙に涙したとき。
それでも岡部が戻って来られたのは、
彼の中に“誰かを想う記憶”があったからだ。
紅莉栖の冷静で優しい声。
まゆりの静かな微笑み。
ダルの変わらぬテンション。
鈴羽の強いまなざし。
たとえ世界が変わっても、
岡部の中には彼らが“確かに存在した記憶”がある。
それこそが、“誰にも理解されない苦しみ”に耐える支えになっていた。
6. それでも彼は“観測者であること”を選んだ
SG世界線到達後も、岡部はすべてを記憶したまま生きている。
それはもはや“苦しみ”というより、“運命を受け入れた覚悟”だ。
彼は、自らが“物語の軸であること”を理解していた。
他の誰でもない自分が、世界を導かなければならないことを知っていた。
だからこそ、彼は“観測者であり続ける”ことを選んだ。
「過去を知っている人間が、未来をつなぐしかない」
岡部が歩んだすべての世界線は、
誰かが笑い、誰かが泣く“真実だった記憶”である。
それを無かったことにしない。
語られない過去を、自分だけが覚えておく。
それが彼の選んだ“物語の責任”なのだ。
7. まとめ|“覚えている人間”の尊厳と強さ
岡部倫太郎は、“世界を救った英雄”として語られるかもしれない。
だが実際には、彼は“すべてを記憶した一人の青年”にすぎない。
その姿は、決して派手ではない。
誰にも理解されない悲しみを抱え、
それでも笑い、冗談を言い、誰かを守り続ける。
観測者であるということは、
“物語をつなぐ責任”を負うということだ。
岡部倫太郎は、選び続けた。
迷い、苦しみ、倒れそうになりながらも、
それでも誰かを救うために「記憶を消さなかった」。
“観測者”とは、
失われた物語を覚えている人間のことだ。
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