1. 導入|“正義の側”にいると思っていたペジテとアスベル
『風の谷のナウシカ』において、トルメキアの軍事侵略と対峙する側として登場する都市国家ペジテ。
姉を失い、故郷を焼かれた少年アスベルもまた、“被害者”であり、
彼らの行動は“正義の戦い”として映っていた。
だが、物語が進むにつれ、ペジテの選択は明らかに“正しさ”を逸脱していく。
「正義」という旗印が掲げられたとき、人はそれを疑えなくなる。
だが、正義はいつでも暴走の危険を孕んでいる。
2. ペジテの計画と“王蟲誘導作戦”の危うさ

ペジテの生き残りたちは、巨神兵をトルメキアに奪われた後、
“最後の手段”として王蟲の子を傷つけ、暴走を誘発する作戦を実行しようとする。
この行動の目的は、トルメキア軍を壊滅させること。
だが、王蟲の怒りがどこまで広がるか分からない以上、
それは民間人の命をも巻き込む破滅的な賭けである。
しかもその過程では、
自分たちの手で王蟲の子を囮として使うという非人道的な行為も含まれていた。
ペジテの“正義”は、すでに復讐へと変貌していたのだ。
3. アスベルの心の揺れと葛藤

アスベルは、姉を殺され、自国を焼かれた少年である。
その怒りは本物であり、ペジテの正義にも強く共感していた。
だが、ナウシカと出会い、共に過ごす中で、
彼の中に少しずつ“疑問”が芽生え始める。
- 本当に自分たちは正しいのか?
- 正義のためなら、他者の犠牲を許せるのか?
- ナウシカのように、赦すことも選べるのではないか?
アスベルは、復讐と赦しの間で揺れる人間の象徴でもあった。
4. “正義”が暴力に変わる瞬間
ペジテの長官は「これは生き残るための戦いだ」と言い切る。
だがその言葉の裏で行われているのは、
他国の人々を囮にする計画、王蟲を使った大量殺戮だった。
つまり、彼らは「目的のためなら手段を選ばない」領域に足を踏み入れていたのだ。
“正義の名のもとに行われる非道”は、
トルメキアの暴力と本質的には変わらない。
正義は、宣言した瞬間から試される。
その使い道と行動が、本当の“中身”を問われるのだ。
5. ナウシカとアスベルの対話に見る“赦しの種”

ナウシカは、ペジテの行動に対して怒るのではなく、
アスベルの心の揺れに寄り添う。
彼女は「人を殺せばまた争いが生まれる」と言い、
アスベルに「自分の心で選ぶこと」を促す。
その対話は、暴走しかけた“正義”にブレーキをかける役割を果たした。
アスベルが選び直しを決意したことは、
ペジテという国家にとっても、新たな可能性を開くこととなる。
6. まとめ|正義は、名乗った瞬間に試される
正義は、自己正当化の道具になりやすい。
ペジテの物語は、「被害者であること」が「正義であること」につながるわけではないことを教えてくれる。
アスベルの葛藤は、
私たち自身が“正しさ”という言葉の陰で何をしているのかを問う鏡でもある。
正義は暴走する。
だからこそ、人はその都度“選び直す勇気”を持たなければならない。
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