――Dメールが壊した未来と、“もうひとつの物語”
1. 導入|“誰かを救えば、誰かが失われる”
『STEINS;GATE』という物語の本質は、「選択」と「犠牲」である。
岡部倫太郎が世界線を移動するたびに、誰かが救われ、誰かが失われる。
その中で目立つのは、まゆりと紅莉栖という二大ヒロインの死と救済のループだが、
物語の裏側では、サブキャラクターたちにもDメールによって書き換えられた“もう一つの人生”があった。
今回は、フェイリス・ニャンニャンと漆原るかという、
“選ばれなかった”2人のキャラクターが背負ったものを見つめていく。
2. フェイリス・ニャンニャンの願いと代償

フェイリスは、秋葉原のメイドカフェ「メイクイーン+ニャン2」で働く看板娘。
その明るさと中二病的キャラ設定の裏には、かつて失った父親への深い喪失感がある。
彼女が送ったDメールの内容は、「父親の出張を止める」ことであり、
結果として父は生存し、現在の彼女と一緒に過ごせている。
だがその代償として、秋葉原の街そのものが変わってしまった。
オタク文化が消滅し、メイド文化も存在しない街になっていた。
これは単なるガジェットの喪失ではない。
フェイリスが“自分自身”を表現できる場所が、世界から消えたということだ。
父親と引き換えに、“自分の居場所”を失った少女。
その選択の重みは、単に誰かが生きる・死ぬという問題ではなく、
「どんな世界で自分が生きるか」という根源的なテーマに直結している。
3. 漆原るかの選択と“自己の否定”

漆原るかは、岡部に好意を抱く少年――あるいは少女。
彼女(彼)は、極めて繊細で、儚くて、自己の存在に常に悩みを抱えていた。
るかが送ったDメールの内容は、「自分が女性として生まれるようにする」こと。
つまり、“生まれ直す”ことで、自己の存在を肯定しようとしたのである。
その結果、岡部が記憶する“男の子としてのるか”は消え、
周囲も“最初から女の子だったるか”として扱っていた。
だが問題は、岡部にだけ“以前の記憶”が残っていることだ。
るかとの関係性は微妙に変化し、
岡部は戸惑い、るかもまた「何かが違う」と感じ始める。
最終的に、岡部はDメールを取り消し、世界を元に戻す。
つまり、るかは再び「男としての人生」に戻る。
これは本人にとって、自己の否定であり、存在そのものの書き換えである。
るかの涙は、“世界に拒絶された”という痛みに他ならない。
4. Dメールが奪った“当たり前だった日常”
Dメールが引き起こした最大の問題は、
“記憶のつながり”を破壊してしまうことである。
岡部以外のラボメンたちは、世界線が変わってもそのことに気づかない。
彼らにとっては、いま生きているこの世界が「すべて」だからだ。
だが岡部は、Dメール以前の世界で、
- フェイリスと過ごした“本当の秋葉原”を覚えている
- るかと交わした会話、伝えられた想いを覚えている
この“記憶の不一致”は、岡部にとって孤独であると同時に、
フェイリスとるかにとっても“誰にも知られないまま喪失される過去”を意味する。
世界線が元に戻れば、2人の“願い”も“涙”も“笑顔”も、すべて無かったことになる。
そしてその喪失には、誰も気づかない。
岡部以外は。
5. “選び直す”という優しさと暴力性
岡部は、最終的に全てのDメールを回収する決断を下す。
それは、まゆりの死を防ぐために必要な手段だった。
だが、それは同時に、フェイリスやるかの「願いを否定する」ことでもある。
タイムリープやDメールが「誰かの希望を叶える手段」だとすれば、
回収=「その願いを打ち消す」という暴力を意味する。
もちろん、岡部は彼女たちを傷つける意図などなかった。
むしろ、彼女たちのために涙を流した。
だがその行動は結果的に、“誰にも気づかれない暴力”になってしまう。
「救うって、なんなんだろうな」
岡部のこの問いは、フェイリスやるかの物語にこそ、強く響く。
6. フェイリスとるかが岡部に遺したもの
Dメール回収の際、フェイリスもるかも、涙を見せた。
それでも、笑っていた。
岡部に「ありがとう」と言った。
彼女たちは、自分の願いが否定されることを理解していた。
そして、岡部の苦しみも理解していた。
そんな2人の“強さ”は、メインヒロインたちとは違う形で物語に深みを与えている。
彼女たちは、自分の“選ばれなかった未来”を受け入れた。
そして、岡部が“選び続けられるように”背中を押した。
それこそが、物語の裏で支え続けた優しさのかたちだった。
7. まとめ|“選ばれなかった物語”を、私たちは忘れてはいけない

まゆりや紅莉栖の物語が「選ばれた者」の物語ならば、
フェイリスやるかの物語は「選ばれなかった者」の物語だ。
Dメールによって、一度は“願いが叶った世界”に生きた2人。
だが、それはなかったことにされた。
そして、その記憶すら彼女たちは持っていない。
だが岡部は、それを覚えている。
だから私たち視聴者もまた、“その喪失”を覚えている。
シュタインズ・ゲートという物語の背後には、
数多の“語られなかった喪失”が積み重なっている。
その中でフェイリスとるかが確かに“存在した”ことを、
この記事を通して、もう一度確かめておきたい。
彼女たちの物語は、選ばれなかったけれど、
決して、無意味だったわけじゃないのだから。
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